「水平線の向こう側って、何が在るんだろう‥。」
不意に口を開く彼女の俗世間には似つかわしくない呟き。20世紀、科学が人間の精神を超えた時代。誰の言葉だっただろう。アインシュタインとか‥?
「君は戦闘飛行機乗りなんだ、見て来たら良いじゃないか。」
彼女は海を見つめたままで眉を寄せる。器用に結い上げた栗色の髪に、低彩度の軍服が良く似合っていた。凜とした横顔の淵が夕陽で黄金色に輝いている。
「アタシが飛行機で水平線を目指しても、広い海は淡々と新しい『水平線』を提示してみせるだけだわ。そして何処かの国に着いて、そこはもう水平線じゃない。」
光の屈折で沈む太陽の淵が歪んでいる。海は怖いくらい静かだ。
「空から逃げて身を隠す、太陽は一体何処に行くんだろう‥。」
風のない、こう云うのを夕凪って云うのかも知れない。彼女の云うみたいに太陽は、後ろめたそうにゆっくりと足の方から自分の体を隠してゆく。時間をかけて、確実に。
「やっぱり、見て来たら良いよ、飛行機で。」
今度は確かに僕の方を向いて少し怒ったような、若しくは困惑したような表情をつくる。
唐突に、彼女のその顔を愛しく思う。今までの一度もそんな感情を抱いたことはなかったのに。多分之からも二度とないだろう。
「僕は此処で待ってるから、僕の見る『水平線』の向こう側に君は飛行機で行って来たら良い。」
風がふいた。赤い空は藍色に染まり、遥か上空では星が輝く。ヘリコプターの音が辺りに満ちて
「‥‥待ってるから。」
僕は届くのか解らない言葉を呟いた。